守ることには、拍手がない

守ることには拍手がない。宇宙から見た日本列島がソーラーパネルで覆われたAI生成画像。日本社会のバグ知っとけシリーズ。 番外編・考察

守ることには、拍手がない|守るより売るほうが得をする国になっていないか

この記事では、日本の農地・森林・水資源が少しずつ失われていく理由を、「誰かが悪い」ではなく「評価の仕組み」という視点から考えます。


日本の「良さ」は、今も守られているか

日本には、世界に誇れるものがあります。

治安、きれいな水、豊かな自然、四季のある風景、地域で支え合う暮らし。

これらは、何十年、何百年という時間をかけて受け継がれてきた、日本の財産です。

ところが近年、ある疑問を持つようになりました。

「なぜ、これほど大切なものが、少しずつ失われているのだろう。」

誰かが意図的に壊しているわけではありません。むしろ逆で、誰もが自分の仕事をしている。それなのに、結果だけを見ると、守られるはずだったものが、少しずつ失われているように見えます。

この記事で考えたいのは、「誰が悪いのか」ではありません。「なぜ、そういう結果になるのか」という構造の話です。


農地は静かに減り続けている

静かに減り続ける日本の農地。1961年のピーク時から約3割減少し、荒廃農地の再生が追いついていない現状を示す図解。

2025年に公表された農林水産省の調査によると、日本の耕地面積は、1961年のピーク時と比べて約30%減少しています。

さらに、荒廃農地は毎年発生し、その再生が追いついていない状況も続いています。

数字だけを見ると、静かな変化です。しかし見方を変えれば、食べ物を作る土地が、毎年少しずつ失われているとも言えます。

そして、これは農地だけの話ではありません。

山、水、地域の景観、地域コミュニティ——私たちが「日本らしさ」と感じてきたものも、さまざまな要因の中で変化を続けています。


本来、守られるべきものがある

日本の「良さ」とは何だったか。

安さではなかったと思います。治安、水の清潔さ、自然の豊かさ、地域の暮らしやすさ——これらが、長い時間をかけて積み上げてきた「日本の資産」だったはずです。

そして本来、それを守る役割を担うのが、行政であり、制度であり、政策のはずでした。


でも現実には、何が起きているのか

民営化、外部委託、規制緩和、再開発、観光化、メガソーラー——

どれも「効率化」「活性化」「成長」という言葉とともに登場します。そしてどれも、それ自体が悪いわけではありません。

問題は、その結果として何が起きているか、です。

「みんなのもの」が、少しずつ「誰かの収益源」に変わっていく場面が増えている。守られるべきものが、短期の利益や効率の前に後回しにされていく。

林野庁は毎年、外国資本による森林取得の状況を公表しています。令和5年調査では、平成18年からの累計で358件・2,868ヘクタールの取得事例が確認されています。

この数字をどう評価するかについては、さまざまな立場があります。一方で、国として継続的に状況を把握し、公表を続けているという事実もあります。

水については、2014年に施行された水循環基本法が、水を「国民共有の財産」と位置づけています。ただし、具体的な保全の仕組みは、現状では自治体ごとの対応に委ねられている部分が大きい状況です。


守ることには、拍手がない

守ることには拍手がなく評価もされない一方、新しい施設を作り予算を動かすことは成果として評価される構造を示した対比図。

守ることには、拍手がありません。ニュースにもなりません。

「今年も無事でした。」

それだけです。

でも、山が残る。水がきれいなまま。地域が壊れない。

それは誰かが守り続けた結果です。

しかし、新しい施設を作る、事業を始める、予算を動かす——こちらは成果として見えやすい。数字にもなります。評価もしやすくなります。

ここに、日本社会の**「評価のバグ」**があるのではないかと思っています。


評価のバグとは何か

日本社会に潜む評価のバグ。動かすことは補助金・ニュース・人事評価で報われるが、守ることは申請書に書きにくく評価されない構造を示す図解。

国や自治体の事業では、新しい施設整備や新規事業は成果として示しやすい一方で、維持する、守る、残すといった行為は、成果として見えにくい場合があります。

こうした行為は、予算の申請書に「成果」として書きにくい。報道にもなりにくい。人事評価にも反映されにくい。

たとえば、近年各地で急増しているメガソーラーの設置。再生可能エネルギーの普及という目的は理解できます。しかし一方で、山林の開発や景観、災害リスクなどをめぐって、各地で議論が起きている事例もあります。

「エネルギーを生む」という短期の成果は見えやすい。でも「水源が守られていた」という長期の価値は、失われて初めて気付くことが多い。

これは個々の担当者の問題ではありません。評価の仕組みそのものが、「動かすこと」に報いる設計になっている。そこに、「評価のバグ」を感じています。


それでも反論はある

誰かが悪いのではなく構造がそうさせる。見えやすい短期の利益だけが評価の天秤を傾けるという構造問題を示した図解。

ここで正直に書いておきたいことがあります。

「昔だってひどかった」という指摘はあります。高度成長期の公害、干拓事業、乱開発——日本が環境を守ってきた歴史は、決してきれいなものではありません。

「民営化で改善した部分もある」という指摘もあります。通信、航空、物流——民間に移ってサービスが向上した分野は確かにあります。

「市民も守るコストを払っていない」という指摘も、外せません。農地が減るのは農家が高齢化しているからでもあり、地域が空洞化するのは若者が都市に出ていくからでもあります。

これらは、すべてその通りだと思います。だからこそ、「誰かが悪い」という話ではなく、「構造がそうさせる」という視点が必要になるのだと考えています。


私たちは、何を失ってから気付くのか

私たちは何を失ってから気付くのか。
  コンクリートの都市の上に浮かぶ水滴の中で
  芽が育つ画像。日本の良さは一度失えば
  簡単には戻らないことを示すイメージ。

もし、守ることより動かすこと、残すことより作り替えること、長期より短期の成果——それらが評価されやすい仕組みになっているのだとしたら。

私たちは、何を失ってから、その価値に気付くのでしょうか。

日本の良さは、一度失えば、簡単には戻りません。

守ることが、成果として見える仕組みに少しずつでも変わっていけるのか。それは制度の話であり、同時に、私たちが何に価値を置くか、という話でもあると思っています。

守られていたものは、なくなるまで、守られていたことに気づかれません。


出典・参考資料

■ 農地データ
農林水産省「令和7年耕地面積調査(7月15日現在)」
https://www.maff.go.jp/j/tokei/kekka_gaiyou/sakumotu/menseki/r7/kouti.html

農林水産省「荒廃農地の現状と対策」(令和8年2月)

■ 森林・水源地データ
林野庁「外国資本による森林取得に関する調査」(令和5年分、令和6年7月19日発表)
https://www.rinya.maff.go.jp/j/press/keikaku/240719.html

■ 水資源制度
水循環基本法(平成26年法律第16号)
https://laws.e-gov.go.jp/law/426AC0000000016

■ 学術的背景
R・K・マートン『社会理論と社会構造』
(官僚制の逆機能・目標の置換について)

※本記事のデータは各資料の公表時点のものです。最新情報は各一次資料をご確認ください。


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